<寄稿集>初演100周年記念鳴門第九に取手から36名で参加


              アジア初演100周年。 取手第九親睦会のメンバー。
        

  2018年6月2,3日アジア初演100周年を記念した鳴門第九に取手第九から36名もの大人数で参加しました。2010年まで鳴門第九への取手からの参加はポツリポツリの個人参加でしたが、2011年より100周年記念演奏を目標に積極的参加を呼びかけてきました。その甲斐あって2011年16名、2014年19名、2016年は13名の取手合唱仲間と参加を重ね、100周年の今回はなんと36名もの大団体参加を果たしたのでした。おそらく2011年以降の参加者のクチコミが功を奏し、今回の数字になったのでしょうか。これで2011年以降の延参加者は84名。100名突破も間近いものと思われます。私事になりますが、私自身初演地の「第九の里」で生まれ、取手団の参加の度に現地案内の機会を得て、この上ない幸福感に浸っています。これからも取手の皆さんに寄り添いながら郷里鳴門とのパイプ役として参加していく所存です。 以下、今回同行しました数名の感想文を掲載します
                       (永野匡見)


100周年記念鳴門第九に参加して        アルト 梅澤 三恵子

私の第九人生のスタートは、10年ほど前、下館で初めて第九を歌った時に、
安本さんと出会ったことから始まりました。取手第九親睦会に加入したこと
で、いろいろなところで第九を歌う機会をいただきました。今回は二回目の鳴
門でしたが、日本で初めて第九が歌われしかも「100周年記念鳴門第九の演
奏会」に参加することが出来とても感激しています。 2016年6月の鳴門
演奏会も今回と同様に約600人の合唱団でした。その時、私はステージの袖
で歌いました。今回は13段ある中で、11段目という上段の方なので、大変
と思いましたが、思ったより上段で歌うのはとても気持ちが良く、イケメンの
指揮者もよく見えるし、パーカッションの演奏者の様子も手に取るように見え
て、とても充実して「第九」を絶唱することが出来ました。感動がやまない満
たされた気持ちになりました。また、両隣が名古屋と神戸の方で、いろいろな
お話をすることがとても良かったです。演奏前の講演が長くて、しかも聞きと
れず、しびれが切れそうになりましたが、それも思い出になりました。 再
び、第九の里や霊場そして鳴門大橋を訪れる事が出来、忘れられない「100
周年記念鳴門第九を歌う旅」になりました。今回も永野さんはじめ取手第九の
役員の皆様のおかげと感謝致します。 ありがとうございました! 徳島のお
酒「芳水吟醸」美味しかったです??


念願の鳴門第九                  アルト 海老原 孝子

「鳴門の第九」数年前から是非参加したいと思っておりました。会津出身の私
は「松江豊壽」氏、鳴門市にありました板東俘虜収容所の所長に関心がありま
した。未だ戊辰戦争の傷の癒えない会津人にとっては、一筋の光明であり誇り
の人でした。敗者の悲哀を知り尽くした事でドイツ軍捕虜に対して人道的に接
し温かい交流もあってこの演奏に繋がったのでしょうか? この発祥の地に親
しみを感じ是非とも100周年という節目の年に参加し、より深く知りたいと
思いました。国技館、大阪の第九にも参加させていただきましたが、またひと
味違ってリッラクスした和やかな雰囲気の中で楽しく歌うことが出来ました
(実は数日前より喉を痛めておりまして情熱的な指揮者により惹かれたような
気がします)

ドイツ俘虜のお孫さんもお見えになっていたということで、観客席も賑やか
な様でした。アンコール後にめがねをはずして涙を拭いておられた外国人の姿
が、しばらく目に焼き付いておりました。最終日昼食の大鳥居苑さんでの食事
も大変美味しく幹事さんの気配りも素晴らしく楽しく過ごすことが出来まし
た。感謝申し上げます。今回の旅行は一泊追加で岡山経由倉敷散策を満喫し二
カ所の美術館(大塚美術館・大原美術館)も見ることが出来、楽しい思い出が
倍増し、幸せな時を歩めました。

重ねてご尽力くださいました役員の皆様ありがとうございました。


100周年記念「鳴門第九」に参加して          テノール 太田 和久


ベートーヴェン第九の日本初公演があったのは大正7年6月1日で今は鳴門市
となっていますが、昔は板東と言う地名でした。板東捕虜収容所には第一次世
界大戦で中国,青島で捕虜になった、ドイツ兵 1,000人が暮らしていま
した。所長であった松江豊寿氏は、戊辰戦争で敗れた会津の出身でしたので、
負けた兵隊の心がよくわかり、捕虜に対して可能な限り配慮を示し、自主的な
活動を許しました。収容所内で80軒ほどの商店街も作られました。スポーツ
活動、文化活動、音楽活動も盛んで、100回以上の演奏会も行われました。
1918年6月1日に「第九」アジア初演が行われたのです。それから100
周年の記念演奏会が本年6月2日、3日の2日間にわたって行われました。取
手からは36人の仲間が出演いたしました。何年か前より、今年の100周年
演奏会に向け、ご当地出身の永野さんを中心に私も四国出身ということで幹事
の一人として、計画に参加いたしました。本番は、米国、ドイツ、中国の出演
者を合わせて約1,200人で「第九」を歌い上げました。 4日(月曜日)
は大麻比古神社、ドイツ館、捕虜収容所跡地、四国遍路八十八箇所の一番札所
・霊山寺、渦潮を巡り、16時半の飛行機で帰京しました。「第九」に初めて
参加したのは、1986年の市制20周年取手第九演奏会でした。32年にな
ります。「第九」のお蔭で、国技館、近隣市町村、越谷、荒川区、文京区、ド
イツを訪れることが出来ました。中でもドイツに3回も演奏旅行に訪れたの
は、楽しい思い出となっています。今後も「第九」を友として、健康に留意し
て過ごしたいと思います。




鳴門演奏旅行に参加して             バス 辻 卓司

平成30年6月3日、鳴門市文化会館で開催されました「第九」アジア初演
100周年記念第九演奏会に、取手第九合唱団の皆様とともに参加させて頂きま
した。 「第九」が日本で初めて板東俘虜収容所内で、ドイツ兵捕虜によって
演奏されたこと、初演の背景に、捕虜に対する人道的な配慮で処遇された松江
豊寿収容所長の存在があったという歴史の真実について、私は以前、中村彰彦
著作の実話小説「二つの山河」を読んで感銘を受け、いつか鳴門を訪ねてみた
いと思っていました。 その鳴門で、100周年記念の第九演奏会があると、3年
前にベルリンの「第九」でご一緒した、取手の安田様よりお誘い頂き、部外者
ながら取手合唱団の中にご一緒させて頂きました。 当日の第九演奏の指揮
は、鳴門市の姉妹都市ドイツ・リューネブルク市の指揮者トーマス・ドーシュ
さんが、流れるように美しくタクトを振られました。 この「第九」の合唱を
通して、私は、音楽に国境のないこと、100年の時を超えて「第九」は永遠の
音楽であることを感じるとともに、私が今、この歴史的なステージに立ってい
ることに、身体が震えるほどの感動を覚えました。 演奏会の終了後に開かれ
た「なると第九」アフター交流会では、会場入口で、浴衣姿の子供達が、参加
者一人ひとりに、折り鶴を手渡し笑顔で迎えてくれたことにも感激しました。
また、交流会では、ステージと会場が一つになって、阿波踊りを一緒に踊る
など、鳴門の人達の温かいおもてなしに包まれて、最高の気分に浸ることが出
来ました。 演奏会の翌日は、板東ご出身の永野様のご案内により、ドイツ
館、板東俘虜収容所跡地など、「第九」ゆかりの里を巡り、100年前のドイツ
人俘虜と地元民との交流が今に受け継がれていることの意味を知ることができ
ました。 この度の、鳴門第九演奏旅行に際しましては、計画段階から周到な
準備と、綿密なプランニングにより、完璧な旅行を引率して頂きました安本
様、永野様始め、温かく接して頂きました取手第九合唱団の皆様に心より感謝
と御礼を申し上げます。 ありがとうございました。



鳴門第九に参加して              ソプラノ 戸塚 奈加

第九日本初演から100年、この節目に参加できたこと、とてもうれしく思
います。初めて降り立った徳島空港、空がとても青く感じられ、天気にも恵ま
れとてもよかったです。 第一部のマンフレッド・クラメス氏の“交響曲「第
九」の秘密”。ステージの奥の方にいた方々にはよく聞こえなかったようです
が、私はラッキーなことに目の前で講話を聞くことができて第九の効果を知り
ました。そして“交響曲「第九」の秘密”の本を購入し読みました。ベートー
ヴェンがその苦悩の人生の中で本当に人々に伝えたかったこと、大きな愛と平
和。これまで、ただ第九を歌って自己満足に浸っていましたが、改めて第九の
すばらしさを知り、これからも続けていきたいと思います。 板東俘虜収容所
のこと、所長松江豊壽の人間性、近隣住民との交流。刑務所のようなところに
閉じ込められ、使役に汗を流す、そんな捕虜の生活を考えていた私には驚きで
した。人間的に扱われ、ドイツさんと親しまれ、音楽を楽しみ、スポーツをや
り別荘まで持っていたとは。そんな環境だから第九も演奏できたのですね。そ
こにはベートーヴェンの目指した世界があった。今でもテロや内紛が絶えませ
ん。そういうところに届くように心の安寧と平和を願って第九を歌っていきた
いと想います。



アジア初演100周年記念 「なるとの第九」に参加して   バス 安田 豊

この世に生まれ、いつの間にか88年の歳月が過ぎた。顧みると、喜怒哀楽を
感じ、想い乍らの人生であったが、そんな中、私に大きな感動と生きる喜びの
心を与えてくれたものの一つは、ベートーヴェンの「第九」である。来る年ご
との年末には、欠かさず聴いていた「第九」を、何時の日か歌いたい想いが叶
えられて、早15年の月日が流れた。歌い始めた当初に、日本での「第九」の
初演の地が「鳴門」であること、加えて鳴門市ではそれを記念にして、毎年演
奏会が開催されていることを知り、参加への強い願望を持つようになった。そ
の後、願いが実現し、今回で3度目の参加になった。特に今年は、「アジア初
演100周年」の節目であったことから、参加者は海外からも含め1200名
となり、2日間に渡る演奏会は大盛会であり、その一翼を担えることに感謝し
ている。当日の昼の休憩時に、会場の中庭に集まっていた幼稚園児のグループ
が、俄に「フロイデシェネル、ゲッテルフンケンーーー」と歌い出したのを見
た時に、一瞬、何が始まったのかと驚きすらも、その澄んだ爽やかな明るい声
に聞き耳を立てたひと時だった。と同時に鳴門はまさに「第九」の街であり、
市民の心の故郷でもあると感じた瞬間でもあった。 演奏会は、ドイツから招
待されたトーマス・ドーシュ氏の指揮で進行した。指揮者の全身の躍動から伝
ってくるダイナッミクで、エネルギッシュな素晴らしい指揮に魅され、自から
をも鼓舞し、全身をもって存分に唱うことができ至福の想いであった。指揮者
のタクトが止まると、総立ちになっての客席から鳴り止まぬ拍手と歓声が飛
び、アンコールでは、観客と共に「歓喜の歌」が唱われ、会場が割れんばかり
の大合唱となった。まさに、究極の感動そのものであった。 顧みて、この度
もまた「愛と平和」がテーマの「第九」に出会い唱う機会に恵まれたことに、
改めて感謝の想いを深めたひと時であった。翌日、初めての徳島市の散策と観
光の機会を得て、眉山頂上から徳島市街地の展望を楽しみ、続いては、無形文
化財として今日なお上演され続けている「「阿波人形浄瑠璃」を見学した。最
後は阿波踊り会館で歴史と伝統のある「阿波おどり」の見物と体験をし、古今
東西の歴史ある伝統文化を知ることができ、名実共に、心豊かな3日間であっ
た。

        
友好のひととき。 ドイツ人俘虜のお孫さんも参加されま
した!