TMC saloon
              
(2015.7.7 更新)

ここ TMC SALOON は、団内外の皆様に開放された談話室です。
ただ、一般の「掲示板」等と違って、いったん管理人までメールでお送り頂いたものを掲載させて頂いております。 (管理人)
              (管理人あてメールはトップページからどうぞ)

        以下日付逆順に掲載します
                   
  バックナンバー 0 (2007.1.1までの掲載分)


水車・梅雨の晴れ間

  練習中の曲、多田武彦「柳河風俗詩」、その第4曲(梅雨の晴れ間)は
    ♪まわせまわせみずぐるま・・・・♪   で始まる。
この水車は、粉ひきなどの動力源としての水車ではない。 人が水車を回して、その水車によって水をより高い方へと送る、揚水機材である。多くの場合、水車を人力で運んで田のあぜなどをまたいでセットし、人が水車の羽根?に乗って足踏みで作業する。人が手で掴むためのバーが付いていて、何しろ足で踏むのを止めるわけに行かないのだから、きびしい。
もちろん、固定的に設置されている場合もある(あった)が、動力事情の進んだ昨今、実物を見かけることは、まずない。
 この労働を狐忠信(人形浄瑠璃や歌舞伎の登場人物)の舞台と重ね合わせた白秋という詩人は、やっぱり我々とは住む世界が違うと、「ノスカイや」や「三味線の細い吐息」に無縁なわれら無粋人は、よき時代を想像するのみである。そんな原風景が現在の柳川(市)にはあるのだろうか。
白秋は、「水郷柳河こそは、我が生れの里である。我が詩歌の母體である」と言ったと伝えられる。
    注:旧柳河町は合併後柳川市となった。

 そんな水車の実物を見かけた。守谷市のとある緑濃い住宅地の一角に個人ギャラリィがあって、そこのインテリア(だろう)として生き延びていた。聞けば、近くの農家の片隅で邪魔扱いされていたものだそうで、珍しくも貴重なものだと思った。
          

   (北の旅人。 2015.7.5)

                
      






猛暑・酷暑・炎暑・・・・3題。

◇学生時代の友人N氏は土佐中村市(現:四万十市)の出身である。
ここ数日の高温記録を塗り変えた四万十市、ふと気になって残暑見舞いならぬ暑中見舞いを出した。
立秋を過ぎたら残暑見舞い、位の常識はあるが、今年は「残暑」などというものではない。
 早速返信されたメールによると、奥さんが「旦那に日本一を取られた」と悔しがっている、とのこと。
なんじゃいこりゃ、と読み進めると、なんと彼の奥方は多治見市の出身とのことだ。
 うーん、日本一のアツイ夫婦、というわけか。

◇おとといのことだ。隣の遊水地に行ってみたら、直径2m足らず深さ10−20cmのほぼ円形の水溜まりにクロメダカが群れていた。
このところの水不足でいつもの溝が干上がってしまい、メダカの行き場がなくなったのだった。
かわいそうなので、孫の置いていったタモで2回ほどすくい上げたら数百匹、バケツなどを動員して、今のところ何とか命をつないでいる。
中一日おいて、今日見たらさらに水量が少なくなり、完全に干上がるのは時間の問題だ。
雨よ降れ、頼むから。
 それにしても、いまTMCで練習しているのはタダタケの組曲「雨」。皮肉なものだ。
 ”ざあ〜っと降って来いよ〜〜〜夏の雨〜〜〜”

◇わが市は県でトップの放射線ホットエリアである。 さきの遊水地でも放射能除染工事が進行している。手持ちの線量計を使って積み上げられた土嚢のいくつかの線量を測ったら 0.54μシーベルトあった。
この土嚢は、ここ数日以内に同じ土地の一部に坑を掘って埋め込まれる。汚染土をどこか他の場所に移すのではなく、すべて自己完結で保管するのだ。半減期30年だから、60年後には1/4になる計算だが、まだまだ高い。
ここ1ヶ月ほど、雨らしいものは降っていない。隣接の市町村で土砂降りの報道があっても我が町だけはどういう加減か、降らないのだ。
ああ、それなのに、、、、なぜあのとき、選りによって強い放射能を運んだ雨が、なぜ当地にだけ降ったのか、今さらながらの恨み節。 (2013年8月、北の旅人)



腹から進め??

   ふれあいコンサートで、久々に我がTMCは「いざ起て戦人よ」を歌いました。
男声合唱の定番曲です。
ところが、WEBでなんと言うこと無しに見て行くと、とんでもない質問があったんです。
いわく
 「すすめよ腹から」「送るなあだに」とは、意味不明、誰かおしえてくれませんか?」なのだそうです。
信じられん。わざと書いた、最近はやりの低級なジョーク、だろうと思っていますが。

 読んだら、なんだか変に力が抜けました。もう、この曲歌うの、止めませんか?「御旗にする」のはウボイの方が、日本語でないだけまし、かも?

 言うまでもなく はらから、は同胞、おくるな は後るな、 ですよね?
違うって?困ったですな。
     (2013.1.28 北の旅人)



取手合唱仲間を郷里「鳴門第九」に案内
      −ベートーベン第九日本初演の地で感動の合唱−

                                                   永野匡見

 私の出身地は徳島県鳴門市の板東(ばんどう)という町で、高校卒業の18歳まで過ごしました。その頃のわが町は、四国88ヵ所巡礼の1,2番札所や阿波一宮の大麻比古神社で大勢のお遍路や初詣客で門前町として大変活気に溢れていました。その後上京しましたが、1970年代初め、第二次大戦引揚者が住んでいた校舎のような大規模集合住宅(1,000人規模)の近くに「ドイツ館」という市の観光施設が完成しました。その展示資料によりこの集合住宅は、もともと第一次大戦で敗れたドイツ兵を収容していた板東俘虜(ふりょ)収容所であり、ここで1918年(大正7年)6月1日、日本で初めての第九演奏が行われたことを知りました。それまで地元の歴史にうとかった私ですが、記念すべき凄いことがわが郷里で行われたのだと誇らしい気分になったものでした。今でこそ年間300回以上もの公演回数を数える第九演奏の最も盛んな国となった我が国ですがその歴史は浅く、この板東での初演からまだ90数年しか経っていないのです(世界の初演は1824年にウィーンで、約190年前)。 2006年封切りの「バルトの楽園(がくえん)」をご覧になった方もいるかと思いますが、ドイツ兵の板東での暮らしぶりを詳しく伝えていて、俘虜収容所長松江豊寿の「お客さんではないが、罪人でもない」という人間味溢れる処遇でのびのびと生活しながら地元の人々とも交流。楽団演奏、演劇、スポーツに興じる一方、バター・チーズの製法やパン製造技術などを地元に伝えながら、異国での3カ年を過ごしたそうです。

ベートーベン第九の日本初演の地で生まれたものの第九、合唱にはずっと縁の無かった私ですが、2001年、勤務地の敦賀市で知人の薦めにより敦賀第九に初めて参加しました。学生時代以来の30年ぶりのドイツ語で、暗譜に苦労した記憶がいまだによみがえりますが、本番をやり終えた感激は何にも代え難い素晴らしいものでした。茨城県取手市に戻ってからは取手男声合唱団に入団しながら2005取手第九や第九の母国であるドイツ・バーデンバーデンでの公演、そして文京区第九、国技館第九などに参加しているうちに郷里鳴門市でも日本初演の地を記念して毎年6月第1日曜日に第九演奏が行われていることを知りました。ほどなくして郷愁心も手伝って郷里でも歌ってみたいと思うようになり、2007鳴門第九にエントリーしたのでした。エントリーの後、演奏会概要が届きましたが、日ごろ取手男声合唱団でご指導頂いている伊藤純先生がバス・ソリストとして名を連ねているではありませんか。なんという奇遇でしょう。不思議なご縁にビックリしたものでした。演奏会当日は駆けつけてくれた兄弟家族を前に郷里で初めての第九を力一杯歌い上げ、その後は伊藤先生と時間を忘れて懇談させて頂きました。

 2度目となる今回の2011鳴門第九については、ご承知のように3月11日に東日本大震災があり、主催者は開催をどうしたものか相当思い悩んだようですが、4月になり多くの音楽家が被災地に赴き、音楽で被災者を勇気づけているのを見て、開催に踏み切ったとのことでした。このような中、取手から16名(男性6名、女性10名)の合唱仲間と参加しました。日本初演の地の人気はさすがで国内は北海道から鹿児島まで47団体のほか米国からの参加もあって総勢630名もの大合唱団が編成され、この中には被災地の宮城県岩沼市から厳しい状況の下、2名が参加されていました。
16名の取手団の遠征にあたっては私自身、出身地のよしみで案内役として地元にいる兄弟、従兄弟と相談しながら旅行計画や準備にあたりました。6月4日の移動・前日練習、6月5日の本演奏と慰労会、そして翌日の市内観光等々2泊3日の第九ずくめの旅でした。市内観光ではドイツ兵の俘虜生活や第九に因んだ歴史資料を展示する「ドイツ館」、映画ロケセットを移築した「バルトの庭」、ドイツ兵が帰国記念として造った石造アーチ橋の「ドイツ橋」、そして「鳴門の渦潮」などを見て回りました。回り終え皆さんから「大変楽しかった、良かった」という声を聞き、ホッとすると同時に、郷里の文化イベントに大勢の皆さんを案内できたことをこの上なく嬉しく思ったものでした。

後日、参加者でこの演奏旅行の感想、思い出を持ち寄り、記念文集を作りました。ひとりひとりのベートーベン第九への思いが詰まった15ページの素晴らしい冊子に仕上がりました。お世話になった鳴門第九事務局にもお送りしたところ、先日、ご丁寧な礼状を頂いたところです。文集が仕上がり、今回参加できなかった団員から6年後の初演100周年の鳴門第九には是非、参加したいと言う人が出てきています。私にとって鳴門第九は郷里とのかけはし。これからも健康に留意し、100周年記念鳴門第九に再び多くの取手の皆さんを案内出来れば、と思っています。

敦賀の知人に勧められ、恐る恐る始めた合唱。10年を経過した今、セカンドライフの中心になった感があります。毎週の練習で生まれた課題を各自が一つずつ改善して、次回に臨む。みんなで息のあった情感のこもったハーモニーを夢見ての共同作業です。きっかけを頂いた敦賀の知人、教わっている先生方や合唱仲間に感謝・感謝の毎日です。
(2012.7.11受付)




唱歌を知らない世代

  最近のことだ。「ふるさとの四季」は、たれもが知っている曲が並んでいる合唱曲、という固定観念が何となくあって、小生には(歌唱表現が、というわけではない。暗譜が、もっと有り体に言えば、歌詞を覚えるのが)易しくて、逆に軽く見がちだったのだが、最近の人たちには難曲ともいえるそうな。いわく、子供の頃聴いてフシは何となく知っていても文語の歌詞がひらがなで書かれていて、日本語としての認識に苦しむ・・・・ということだった。
たとえば、「ホトトギス ハヤモキナキテ」「シノビネモラスナツワキヌ」、もはや外国語扱いだと嘆いておられた。考えてみれば、「サミダレノソソグヤマダニ サオトメガモスソヌラス」姿はもう見られないし、「ムラノカジヤ」の作業場は60年も前に見たのが最後なのである。

その人は、完全カナ書きの譜面に漢字仮名交じりで全歌詞を書き込んでいるのであった。
でも、彼女はヨーロッパ古典音楽にはめっぽう強く経験豊富なたぶん40歳代。
「おとなの日本語曲がうたえるように精進します」とのことであった。

日本の唱歌を歌うのに苦労する若者も、ポピュラー曲でやたら英語の歌詞が不規則に混じる、いわば和英混淆文の、シンコペがぶちまけられている幼い表現と感覚の楽曲には強い。でも、日本語、なかんずく文語表現の豊かさ奥深さはお呼びでない、文語は古い、と思ってしまう、日本文化はもう自然な継承は望めない時代なのだろう。

いっぽう、こんなケースもあった。
某混声合唱団に若い男声(といっても30歳台だが)メンバーが居たが、合唱編曲したとはいえ、「イエスタデイ」を知らないのであった。アラカン(「あらうんど還暦」世代)のおばさん(失礼、アルトの女声)たちがあきれた声を挙げた。「あなた、イエスタデイ、しらないのー?」 。失礼な話だ。自分が知っていた曲だからといって、そんなに他人を馬鹿にすべきではない。  彼よ、心配するな、そんな声は気にするなかれ。譜面に沿って歌えば良い。 
小生などは逆にイエスタデイは我が青春時代の後から出てきた曲なのだが、まあ、合唱団にはいろんな人・いろんな世代が居るものである。
自分の育った時代の歌を一番身近に感じる、ただそれだけなのだと割り切って、今後もいろんな曲をたくさん歌ってゆきたい。
   (北の旅人・2012.6 改)





レコードの復活
                                             
 押入の奥からレコードプレヤーが出てきた。40年以上前に使い始めて、その後CDの普及に伴いお蔵入りして20数年眠っていた筈である。良い機会だとばかり、配線して勇んでスイッチを入れたが、動かなかった。 アルミの重さを感じつつターンテーブルをはずしてみると、何とベルトが溶けてしまっていた。ねばねばになったゴムの残骸をナイフで慎重にそぎ落として掃除し、とりあえず輪ゴム7本をつないで急場しのぎのベルトとして何とか回転し始めた。
 そうなると何か音を聞いてみたくなる。 適当に取り出したのはバーンステインの「田園」。ジャケットには1968年購入、のメモがあった。でも、長年放置したせいで使い慣れたカートリッジは見あたらず、しかたなく以前粗大ゴミから外して拾ってきたMMを取り付けて、音だけは、出た。 ベルトがでこぼこだからワウ(回転ムラ)が感じられ、何とも懐かしい音がした。 
1曲終わる頃には音もほぐれてきた。まあ、ふた昔も眠っていたカートリッジでダンパーゴムなども劣化していると思われるのに、それにしては結構な音が出た。調子に乗って立て続けに数枚のLPを聴いたが、盤面のカビ掃除が大変だった。でも、聴くほどに音質は劇的に好転した。固くなった振動部がほぐれてきたのだと思った。

 すべてが思い出深い物であった。買うからには良い物をとベルトドライブのものを選び、当時の給料かそれ以上を投資したのがこのプレヤーであった。これを自作のアンプにつないで使ったのだ。給料手取り2万数千円の当時である。1枚¥2000円のLPを買うのには勇気が要った。それが、いま日の目を見たのである。LPを処分しなくて良かった。

 現用のアンプにフォノ入力端子があったのは幸いであった。LPからはしっとりと落ち着いた音がする。音を出す前の儀式(レコードディスクをジャケットから慎重に取り出し、クリーナでていねいにホコリを払ってターンテーブルに載せ・・・・)で心落ち着かせ、出てくる音に耳を澄ます。 CDより一手間かかる、これからはそのようなことを、できるのだ。 とはいえ当然ながら輪ゴムでは回転ムラがあったので、メーカーに問い合わせ、マッチするベルトを通販で取り寄せ、ひょんなことからLP環境が復活した。 しかし使い慣れたカートリッジはどこへ仕舞い込んだか、まだ見つかっていない。例の拾ってきたM44GというのはS社の製品で今も交換針が簡単に手に入るとのことだから、まあ、これで時々音を出すことにしよう。

 それにしても、最近の若い人はLPそのものになじみがない。 溝があるんだぁ、針はどれ?などと言っている。CD世代だから当然の反応なのだろう。 その後MDが出て短期間で姿を消し、SACDを横目に、「使い捨て音楽」のネット配信の時代になりつつある。
 LPからCDの時代になって音質は(底上げはできたが)悪化し、その後の技術改良によりかつてのLPの繊細な音質が蘇りつつある。もっとも、わが日本人の割り切り癖か文化の相違か、78回転のプレヤーとSP盤は急激に姿を消し、かつての名演奏の記録は葬られてしまった。変化は激しいがこれが「進歩」なのだろうか。お仕着せや画一でなく、自分の欲する音楽をじっくり確かめながら入手し、長く楽しんでゆくことから徐々に遠のいてゆくような気がするのだが。   (2012.1.31 北の旅人・転載、2016年改)




25周年に 

事務局長から、来年(2012年)新年早々の日程・練習計画のお知らせメールを頂戴しました。

その中で、
>  (2012年)1月15日は取手男声合唱団の創立記念日で、団は満25歳となります。

と当団創設25年の事にふれて頂きまして、大変うれしく思います。 

それは昭和62年(1987)の1月15日(当時、成人の日で祝日)に開かれた、取手男声保存会の会合のことをふまえての事と存じますが、そこで出た「男声合唱をやろうと言う想いと声」が端緒になって、取手男声合唱団は出来て行きました。(関連記事
その会は、成功裏に開催された、前年12月取手初の、ベートーベンの第九演奏会の男声有志が集ったもので、私も参会者の一人として、懐かしく思い出します。

あれから、25年、四分の一世紀になるのですね。感無量のものがあります。あらためて、皆様方やこれまでお世話になった方々に感謝致します。
              バス 仲津真治  (2011.12.25受付)



応援ありがとう

   12月11日取手市民音楽祭をお聞きになった知人から感想はがきが来ましたのでご紹介します
                
                                        (トップテナーKoy   2011.12.19受付)


土井晩翠・そして

  数日前、所用で仙台へ行った。 ちょっと時間が取れたので「晩翠草堂」に立ち寄った。仙台に来るたびに幾度も通り過ぎながらつい行かずにいた史跡である。 「荒城の月」の作詩者、土井晩翠が戦後の一時期住んでいた30坪ほどのごく質素な平屋の建屋で、今は仙台市が管理している。
 ここで初めて知ったことがあった。
晩翠の名字を「つちい」と読む人がいて本当はどうなのだろうと不思議だったが、はじめは「つちい」だったのが、昭和9年に「どい」と改称し、その後は「どいばんすい」が正しいのだと言う。
「荒城の月」の歌詞は、3番は「いま荒城の・・」、4番は「・・今もなほ」で、漢字とひらがなの「いま」が混じっていた。そして、「ハナノエン」のメロディーは「ファファミレ#ミ」とあって、いつも歌っている「レ」が半音高かった。 そのほか、校歌は3百数十校も作詞し、文化勲章受章者でもあった。晩翠の名を冠した賞やコンテストもあり、仙台市民から愛されている晩翠に改めて会えたような気がした。

 仙台市内を車で抜けて、東松島まで行ってみた。途中の道路は、本来直線道路のはずが左右にカーブし上下動も激しく、しかしこれでも補修されたのだそうだ。仙石線の駅が,曲がった線路ちぎれた架線折れ重なった電柱ごみの山そして半年間に生えた雑草とともに、津波の惨状を訴えるかのように放置されていた。
4両編成の電車も、行き場がないまま、これは駅と駅の中間を走っていた状態で停まっていた。写真に撮れば通常の鉄道写真と変わりない(周りの風景は「惨状」だが)のが切なかった。 大量のゴミ・がれき。半年たっても壊れたまま放置されている住宅の多くは、一家全員が残念な結果となって解体許可手続きをする人も居ないまま、というケースが多いのだという。 ひと気のない瓦礫と廃屋の住宅地、車を停めた道路に、たぶん地震による地盤沈下の影響だろうか、折しも満潮時とて道路上を海水が洗い始めた。急いで引き返した。
「昔の光 いまいづこ」の歌詞が重なった。   (2011.11.03 北の旅人)

<追記>
  荒城の月の歌詞の「いま」「今」の配置は晩翠草堂で入手したパンフレットに載っていた歌詞と、草堂職員の解説に基づくが、その後、自筆の額や歌碑等をみると、統一されていないようである。
 また、レ♯は滝廉太郎の原譜(ピアノ譜が無く、旋律のみ)にあったが、あるとき山田耕筰がピアノ譜を付けて編曲した際、♯を取ってしまい、滝廉太郎作曲・山田耕筰改編と明記されて出版され、それが広く流布し♯なしのものが定着した由。#があると外国人にはジプシーの短音階と紛らわしくなるので、日本の曲らしくするため、というのが♯を取った理由だったそうである。(この項CD「KICG3133荒城の月」 解説書による) 
   (追記 2012.3. 北の旅人)




大地震

 2011年3月11日、東北地方から茨城にかけて大きな地震が襲った。
M9.0は世界での有史4番目の大きさ。 被害に遭われた各位にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々とご家族に心からお悔やみ申し上げたい。
TVで繰り返し放映される津波、あまりにひどくて言葉を失う。 筆者も台風水害の現場で手伝ったことがあるが、あの何十倍もの惨状を思うとき涙せずには居られない。 某サイトに、今回の地震・津波の前と後を比較した衛星写真が掲載されていた。 これを見て、また別の歴史上の出来事を思い起こすのだ。 この「saloon」の趣旨とは直接関係ないが、やはりひとこと触れずにいられないのである。

この地震で、取手市民会館の天井が崩落して、しばし休館だそうだ。 身近な場所で崩落とは他人事ではない。 いつもお世話になるホール、詳細不明だが人への被害は無かったのだろうか。
(2011.3.14 北の旅人)



竹のすだれとビールカンの効用??

  今年の夏は猛暑、と言うより激暑続きで暑気払いに役立ちそうな物は何でも試してみたい衝動に駆られる。
 私の作業デスクの上には自作のスピーカーがあって、けっこう長時間音が出ている。連日あんまり暑いので、ネットを外し、竹のすだれに替えてみた。先日100円ショップで買ってきたもの2枚をジョキジョキと切ってサイズを合わせ使ったら、視覚の効果は抜群、何となく涼しく感じるから妙である。夏は結構これがお似合い、と悦に入っている。
細かい事を言えば高音に影響が出るのだろうが、我が耳は幸か不幸か年齢から来るハイ落ち(といっても14kHz近辺までは聞こえるが)のせいか全く気にならぬ。実に落ち着く、これからも夏になったら一時衣替えをすることにしよう。
 
<無駄話の続き>我が家にはビールカンに仕込んだスピーカーもある。以前に自作したものだが、暑さに閉口して押し入れの奥から取り出してきた。これでもアンプに繋げばラジカセなど比較にならぬちゃんとした音が出る。最近はビールは敬遠しているので2リットルのカンはだいぶ過去のものだが、これまた暑気逃れの視覚効果に一役買っている。ちなみに、外観からは、説明されなければスピーカーだとは全くわからないだろう。
(激暑の2010.8.16 北の旅人)




「世界の国歌」あれこれ

 「世界の国歌総覧」、2008年改版で、全楽譜付き。先日水戸の県立図書館で見つけた。 200近い国の国歌を網羅していて、譜面(歌詞・ピアノ譜付き)・作詞・作曲者名のほか邦訳歌詞も付いている。

 1960年初版発行以来、新しく独立した国があり、逆に消え去った国、国名が変更されたケースもある。合併、分割、紛争など、事情はさまざまだ。国歌が変更された国も多いのにおどろく。 歌詞をみると、それこそ多種多様である。歌詞を読んで国情国民性を想像したり、いや、楽しい本である。
歌詞の内容は、故国の自然(など)を讃えたもの、民族独立運動にちなむもの、国王を讃えたもの、古歌、民謡にちなむもの、その他様々だ。

 主な国の国歌を演奏したCDは以前から持っていたが、改めて本を見ると、いろいろ考えさせられることがあった。 日本の「君が代」に反対している人は、ではどんな歌詞どんな成り立ちなら国歌に適当と考えるのか、一度本書に目を通すと良いだろう。君が代反対論者よ、あなたが作る理想的な国歌は大半の国民に受け入れられるだろうか。国の守りすらまともに出来ない今の日本に、国歌を改訂する力はあるのだろうか。

 ベートーベン「第九」の一部を国歌にしたというローデシアは今は無い。逆に、第九第4楽章「歓喜の歌」の前奏部がEUのシンボルとして「欧州連合の歌」に選ばれているが独語歌詞はEUのイベントでは歌われない由。  ドイツ連邦国歌はハイドン作曲。 バチカン市国の「讃歌と教皇の行進曲」はグノーの作曲でラテン語の歌詞のほかイタリア語版もあるそうだ。
オーストリア国歌はW.A.モーツアルト作曲あるいはJ.ホルツァー作曲、と書いてあって面白い。ウルグアイの国歌は長く、複雑だ。全部で11番まであって、長い譜面でリフレインがやたら多い。ベルギーのはドイツ語・フランス語・フラマン語、カナダ国歌がフランス語・英語両方が正本であるように、複数の言語で歌われるものも結構多い。 ここでクイズを一問:スイス連邦国歌の歌詞は、さて何々語(何種類の言語)?

 余談ながら、やたらと長い歌詞の国歌が数多い中で、日本語訳詞がたった4行しかないのは日本とヨルダンだけだった。
余談ながら、本書は守谷市・取手市の市立図書館にも蔵書されている。

(北の旅人 2010.7.1・加筆転載)(クイズの答え→ドイツ語・フランス語・イタリア語・スルセルヴ語・ラディン語、の5種)




♪闇を通って廣野原♪

 仙台からの帰途、新幹線でなく、途中まで常磐線の普通列車に乗った。物好きと笑われそうだが、たいていの場合、ちょっとした収穫がある。
単線区間だから列車のすれ違いを待つ時間もある。この時間こそ楽しいのだ。
誰が買うのか5−6個の駅弁が積んであったり、駅員の僅かの仕事すら奪うかのようにローカル駅には不似合いな自動改札機が1台だけ申し訳程度に置いてあったりする。昔はタブレットを渡す駅員がいたが、今その光景はない。
 今回、福島県「広野」駅で数分待ち、ふとホームを見るとモニュメントが建っていて「汽車」とあった。「今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと 思う間もなくトンネルの 闇を通って広野原」の歌詞が刻まれ、作詞者某が旅行したとき、2つ上野寄りの「久之浜」駅から「広野」駅までの印象を作詞したものだという解説がついていた。
初耳だった。わたしは、動き始めた2両編成の電車の最前部に行って眺めた。なるほどいくつもトンネルがあり、浜辺がすぐそこに見えた。鉄橋はひとつで、ごく短かったが、たしかに歌の通りだった。
 ところが、である。帰宅後改めて調べると、これは定説でなく、碑は広野町の勇み足かも、との記事があった。某が旅行したときは常磐線は久之浜までしか開通しておらず、広野駅は無かったらしい。どころか、いまだに「作詞者不詳」となっていて某の作ではないらしく、場所がどこなのかも、わかっていない、のだそうな。 まあ、文部省唱歌には、坊ちゃまお嬢ちゃまから見たような、無個性の一般的な風景などを歌って主人公や地域性を隠してしまい、「そう言うあなたは誰?」「山紫水明、だけどね」・・・と言いたくなるものが結構多く、これもそのたぐいなのかも知れない。でも、駅名といい、風景と言い申し分なく、良くできた話ではある。
(2010.6.25 北の旅人)




ウ・ボイを歌いました

クロアチアを旅行しました。
ツアーのコースには、スロベニア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロの一部も入っていましたが、自分の期待は、あのウボイ(U-boj)のふるさと、クロアチアでした。
この地域は旧ユーゴスラヴィアに属し、近くはコソボ独立運動の舞台となった地域に隣接しています。アドリア海を挟んでイタリア半島の向かい、風光明媚、といえましょうか、ダイナミックな眺望、古い城壁をはじめ伝統ある町並み、中を高速電動トロッコで10分間も移動する巨大鍾乳洞、雪解けの水があふれんばかりに流れる数百の滝、など、期待を大きく上回る観光に満足しました。
そして、なんと、わたしはその滝の音とどろく場所で、U−bojを歌ったのです。
何の前触れもなくわたしが最初の一節を口にすると、マリアという太めの女性ガイドは一瞬驚いた表情でしたが、さらりと合わせました。気を良くしてメロディは彼女に任せ、自分のパートを歌いましたが、彼女は少しもぶれることなく、綺麗にハモってくれたのでした。滝の音に負けじと大きな声で、デュオで一曲を歌いきると、ツアーの仲間から大きな拍手、私は幸せでした。殆どこれで旅行の目的を達したような気がしたものです。
 少し残念だったのは、3度近く低く歌い出してしまったことでしたが、まあ許されるでしょう。そして判ったことは、彼女のテンポと歌詞はTMCが歌っているのと同じだと言うことです。昔のウロおぼえの「ナユチヤーカクレーモーニ」でなく「ネクドゥーシュマン ズナ カコ ムレ モ ミ」でした。(北の旅人/10.3.12受付)




すばる


「昴」の練習が始まった。良い曲だが歌詞にちょっとだけ引っかかる所もあるのだ。
 アトラス、アルキオネ、メローペ、エレクトラ、マイア、ケレーノ、タイゲタ、・・・・まだまだ続くのだが、これ、実はすばる(プレアデス星団)を構成する星の名前なのである。普通の視力の人で5-7個は楽に数えられる。 散開星団を構成する個々の星にまで命名されている例はあまりないだろう。太古から日本のみならず世界中で親しまれ 季節を感じる星の代表と言えるすばる。天文学によれば我が太陽は生まれてから46億年、トータル寿命110億年、と言われるが、すばるはカラー写真に撮ればまだ初期の水素ガスの青いモヤに包まれて写る、たったの5千万年前に生まれた、赤ちゃんかせいぜい保育園児みたいなもので、砕け散る運命にある老いた星どころか、全天の中でも一番若々しいグループの星と言うことになっている。
<中略>
さて有名曲の「昴」、もちろん天文学とは関係なく歌詞は作っていいのだが、気取った言い回しであっても全体として何を言っているのか、私には詞の意味がいまいち判らない曲なのだ。 そういえば、悲しいときにはむしろ眼を閉じるのが普通のような気もするけど。
管理職諸君よ、この曲も、新入社員クラスにとってはカラオケで上司に一番歌ってほしくない曲の筆頭なのだそうだ。いえ、20年前の話ですけどね。 はい?、同曲の前奏ではないが無意味に饒舌だって? すみません。
(2009.6.25北の旅人 2011.12改)


定演が終わった

 今年の定演は、公民館の講座室に満席300名のお客様に来て頂いた。
例年市民会館などの大ホールを使っているから勝手が違うこともあった。お客様からは、会場が小さくてもったいない、とか、近くで聴けて迫力があった(ありすぎた?)、照明が暗くて表情がいまいち語りかけてこない、和気あいあいで良かった、無料公演で気楽に聴けた、等々、いろんな感想が寄せられた。
 スケジュール調整と会場確保ができなかったので確かに従来のホール(550,800,1100席・・・)より狭く、申し訳無い面もあったと思う。
でも、過日の糸魚川での演奏とほぼ同じプログラムは団員に気持ちの余裕を生み、まずまずの演奏ができたと思う。中でも「水のいのち」は2週前に取手混声の皆さんが定演で歌われたこともあって、意識がどうしても緊張気味だったのではなかろうか。でも、実際に歌い始めると雑念は去り、我々の表現したいのはこれだ、と言う淡々たる歌唱だけが残った。

 次回は来年1月のJORDAN会合同演奏会(柏市民文化会館ホール)、その前には取手市の催しもあり、我々には良き発表の場が目白押し。
そして、定演後のこんにち、新入団員5名(6名?)を迎え大喜び、そして新人諸氏には早くみんなと一緒に歌う為の練習の喜びが待っている。(M)




「U Bojの歌える合唱団」

 皆様の迷惑顧みず演奏会の選曲に「U Boj」を提案、採用となりました。言葉読みには諸先輩方いまだに苦労されているようですが、先日のJORDAN会、歌仲間で開いた宴会と必ず歌う定番となりつつあることを感じている。
男声合唱団としては当然のように感じるが、でも「U Boj」が歌えることはある種ステータスだし、TMCも一クラスあがったと胸の張れる。(ちょっと大げさか!)
さてさて、次はどんな曲で諸先輩方を悩ませるか・・・、その節は平にご容赦の程を。
  (バス 伊藤/09.2.21受付)


すりらんか

  管理人にスリランカからのメールが届きました。 仕事で海外赴任しているTMCの団員からでした。 いつ帰国できるのでしょう? 集中練習で充分追いつけると信じて頑張ってるみたいです。そう、次回演奏会には、また一緒に歌おうではありませんか。 体には気を付けて下さい。
最新情報は出来るだけHPに載せますから、ときおり見て下さい。 (管理人・2008/12/7)



アンプの再生

 いや、簡単に言えば廃物利用。故障したアンプの一部のプリ部だけを生かして既存のアンプに繋いで再使用したのである。
 それまでのアンプを故障で2年前に処分した後、予備の、音質調整機能の付いていないアンプを使っていた私は、ほんの少し音質調整すれば良くなるのにと不満だらけであったが、新調するにも先立つものは予算、アキラメの心境であった。
ふと思いついたのは我が家で一番古いアンプ、結婚当初から20年くらい使って、その後故障し、然し思い出の機械なので捨てきれず永年飾り物と化していたトリオのアンプ。これを引っ張り出してきて、チェックしたところプリ部は健在だった。 たぶんパワートランジスタ1個がダメになっただけ、だろうと見当をつけて、回路を切断しプリアンプとして現用機に接続してみた。ボリュームからのノイズはツマミをぐるぐる廻している内に直った。
 テストの結果は上々、それまでの堅くて細い音は ふくよかな厚みを持って鳴ってくれたのだ。
スピーカーを代えたわけでもない。ただ(間に合わせの古い機材)プリ(とも言えない単なる回路)が追加されただけなのだが、音質はまるで変わってしまった。 面白いのは、音質フラットなのに音全体が変わったことだろう。操作性も良く、当分これで楽しむことになりそうだ。 費用ゼロ。 結果論だが、組み合わせの妙、相性が良かったのだ。 これで幸か不幸か新アンプの購入は無期限先送り。どこにいいタネがあるか、予想は難しい。(北の旅人 11月受付)



取手市民音楽祭が近づいた

  取手合連15周年記念演奏会が済んではや2年になる。オケと共に土の歌やオペラ曲を歌った感激が、ついこの間の事のように感じられる。 そして、毎年のことながら、今年も取手市民音楽祭が具体化しつつある。 取手の催しの特徴は、合唱のみならず吹奏楽、少人数のグループの演奏、琴や和太鼓、吹奏楽、、、等々、多彩な団体が出演することである。 例えば合唱のあとブラスの響きに感動し、ハーモニカにリラックスし、語りを楽しむ。近郊にももちろん各種団体が出演する催しはあるが、合唱団が沢山出演し、なおかつ幅広い、という性格は、自慢できるのではなかろうか。
 もっとも、近郊の都市では合唱だけでも40団体、いや、もっと多くて、松戸などでは2日間に分けて合唱祭をやっていて、こんな場合は多彩な団体の出演はえらく工夫が要るだろうから、取手は適度な団体数の地域性に後押しされた、考えようによっては恵まれているようにも思える。
 「芸能祭」のような催しも各所で行われるが、筆者の印象では(どこでも)カラオケとか舞踊に代表される出演者が中心で、自分の出番(と、ごく親しい限られた仲間の出番)を終えるとさっさと退出してしまう。他人はメじゃない、互いの切磋琢磨などの雰囲気が感じられない。とてもじゃないが筆者などは長居する気がしない。
 でも、市民音楽祭となると話は別だ。互いに聴き合う楽しみ、切磋琢磨がある、と思っている。
すでに曲目も決定し、事業団のHPには掲載されている。でも長時間だから、どうしても目当ての団体をある程度絞ってその出演時刻をねらって会場に行く人も多い。事業団には、ぜひ、出演順や予定時刻などを早めに公開して下さるよう望みたい。今年(2008年)の催しは12月7日(日)10時から取手市民会館で開かれる。 (北の旅人。2008.10.8受付)



10周年記念コンサートにご来場ありがとうございました


取手男声合唱団の皆様
 9月14日の柏フィル10周年記念コンサートには、ご多用中をおいで頂きありがとうございました。これまでの思い出深い曲を中心に歌った緊張のステージでしたが、満席のお客様に大きな励ましの拍手を戴き、団員一同感謝いたしております。いっぽう、会場のアミュゼ柏クリスタルホールは席数も限られ、一部のお客様にはお聴き頂くことが出来ませんでした事をお詫び申し上げます。
 来年は秋に第5回定期演奏会を予定し、すでに練習に励んでおります。今後とも宜しくお願い申し上げます。
     2008.9.15      柏フィルハーモニー合唱団



俳句は「四、四、四」?

 五七五ってなぁんだ? 俳句、いや、川柳も。  これ、常識。
でも、実は四、四、四拍だ、という話を、最近読んだ。(石井宏:「西洋音楽から見たニッポン」 PHP)
ごく簡単にご紹介すると、五七五というのは日本語で書くときの字数の話で、これを朗唱すると実は4拍子になる、字面には現れない休止符があって、これを加味すればまさに四四四、これが西洋人のリズム感覚なのだ、というのである。
たとえば、「フル・イケ・ヤ□・ウン/カワ・ズゥ・トビ・コム/ミズ・ノオ・ト□・ウン」(ウンは1拍休止、□は半拍休止)、同様に三三七拍子は四四四四の4拍子のリズムに乗っているから快く響くのだ、というのが著者の文意である。いわく、「チャッチャッチャッウン/チャッチャッチャッウン/チャッチャッチャッチャッ/チャッチャッチャッウン」。 三本締めにも当てはまることは言うまでもない。

また、フェルマータは日本人の感覚だと「延ばす」だが、実はそうではなく、ここでリズムの進行を「停止する=stop」という意味で、かのイタリアではバス停もフェルマータと呼ばれるのだとか。

幼児の頃からリズムに慣れた音の世界に育った白人と、東洋風の、旋律をリズムより重んじる、というか、リズムに感覚が向いて行かない朗詠・都々逸流の美感の差に言及したこの書物は一読に値しよう。(北の旅人 08.6.10)


えっ? ブログ?

「ときおり見ています」とのメールを戴いた。
小生の名前の付いたブログがある、らしいので、検索してみると、けっこう沢山出てきました。
でも、同名ですが小生とは関係有りません。小生は今のところブログを持っていません。
お褒め頂いた方には申し訳ないと思うが、日記のたぐいが苦手なうえ、人様にお見せできる情報の持ち合わせがありません。あしからず。
まあ、このペンネームを使い始めたのは20年近く前からで、いまさら変える事は考えていませんが、ひとこと弁明。  (北の旅人 08.4.21)


或るステージでの想い出

 広く知られている曲を歌うのはなかなか難しいことだ。日ごろ無意識に口ずさむような演歌がらみだとなおさらである。 私は、合唱の編曲と、聞き覚えやカラオケ等で長年親しんだ自分の旋律やリズムなどが合わないせいもあると思う。 数年前、「美空ひばりコレクション」では、どうしてもカラオケぐせが抜けず、結局合唱編曲のほうを変えて歌った部分があった。そのため、合唱曲として非常に重要(だと私は思ったが)な和音が平凡な響きに変わってしまい、たった1箇所の半音の違いで合唱曲の面白みが消えたのだ。 
   また、耳慣れた曲,との安心からか元気に歌い出してしまい、ピッチにもさほど注意が行き届かず、しかも自分一人なら気付くのに、かなりの人数だから勢いで歌ってしまう。直前まで丁寧に仕上げの練習をしたのはどこへやら、ただただ大きな声で歌っている。 特にひばり、などは聴く方も親しい曲だから、「今日の皆さんは○○○(歌手名)になりきってましたね」、「のびのび、元気でしたね」などとオーディエンスの皮肉なコメントをもらうことになる。
 また、公民館祭などでは会場を埋めるおばちゃん達の反応は正直で、ちゃんとした演奏だと静かに聴いてくれるがダルイ歌唱だととたんに声高なおしゃべりが始まって、もはや止むことは望めない。客席の反応は我々の気合いと努力の反映なのだ。「このおばちゃん達が静かになって惹きつけられるステージにしたい」といつも思うのだ。

 今回小生は法事のためふれあいコンサートを欠席したので、TMC始め各団体がどんな演奏だったかは知らない。TMCも以前よりはうまくなっているから大丈夫だろうが、曲目などに似たところがあるので、何となく以前のことが思い出された次第。(北の旅人 2/26)


白山公民館祭を聴いて

今日のTMCさん、期待に違わずいつもながらの美しいハ−モニ−でした。裕次郎曲難しそうでしたが、歌謡曲もクラシカルに唱うと格調が高くなるのだと実感しました。特に「夜霧よ今夜もありがとう」は心に沁みました。唱っていらしても、公民館オ−デイエンスの反応が(ドイツ語の曲と違うのが)お判りだったでしょうね。 私もそのように感じました。「TMCさんの新しい一面をお聴かせ下さった今日の演奏会」、ありがとうございました。(2008.2.10 取手市 Yu 様より)



謹賀新年
  明けましておめでとうございます。今年もHPをどうぞ宜しくお願い申し上げます
   (管理人 2008年元旦)


第8回定演コメント集こちらから


      
9月20日浜離宮朝日ホールでの取手男声合唱団の演奏感想/萩野芳造

 最大の印象は、私にとって初めての新曲であった、作曲家が聴衆席で挨拶された曲でした。歌詞に良くマッチし、さらに、メロデー、曲の流れ、展開が素晴らしく、もっとこの方の曲を聴きたいと思いました。次回には、ぜひ、数曲別枠での作品集をお願いします。
 演奏の私見を申し上げます。まず最初の合唱で、結構、人数が多いのに驚きました。私は細かく聞きたいので、最前列で拝聴しておりました。
 合唱団の最前列の、客席から見て右の数人の方々のバリトン的発声が出来ているような、中音、低音に厚みを感じました。
 それに反して、高音のテノールの、客席から見て左側のグループは、合唱の場合でもプロがいると、高い音の時に、鼻腔の共鳴が有るので、音に芯が出来て、全体の音に、芯を背にして、綺麗な、富士山から、バスの深い川まで、幅の広い厚みになる、役目の一端を担うのですが、この芯が聞こえなかったのです。しかし素人合唱団のような、共鳴が出来て無く、勢いで割れるような音を出す方は、1人もいなかったので、安心ですが、もう一歩、芯のある声が聞こえる合唱団になられるよう願っています。
 私は、安本さんが居られるのに、おかしいと思い、安本さんのお口を見てたら、大きく開けることが、なかったので、小さい声で歌っているようで、疑問に思っていました。
 2番目の唱歌の四季では、懐かしい良い歌の曲集ですが、ピアノ伴奏の部分の編曲が、全曲を通して聴くと、良いとは云えない曲想で、単にその曲の和音と、リズムのための伴奏という気がしました。曲を選ぶときは、歌だけでなく、演奏曲としての、聴衆の立場から、伴奏でなく、曲がとの様に構成されて、纏まっているかに、みんなで聞いて、それから、全体を通し、ビデオにとって、各人どの様に歌ってるか?  選択された曲は如何であるかをみんなで中間時期に検討されたらいかがでしようか。
  無伴奏の曲の時に、最初のピアノを叩くやり方は、改められませんか、素人ポイ典型ですが、音楽はプロもアマも関係ありません、全体をピアノ伴奏にして、曲間を編曲でうまくつなげるとか、絶対音感の方のハミングから、各パートの最初の音の和音の響きを、各人耳にして発声する方法など、工夫して、指揮者との連携を考慮した演奏法を工夫されては如何ですか。

 ワグナーのあの曲は、半音階の転調への移行があって、オーケストラの弦楽器部の競演なら純正調で良く合うのですが、ピアノは平均率ですから、歌が仮に純正調で綺麗に演奏出来ても、ピアノとは合いません。わたしの経験では、バイオリン曲のベートーベンのロマンスG曲を、ピアノ伴奏の練習を聞いて、オーケストラとの場合とこんなに曲が違っておかしくなるか?! とビックリした事が有りました。今回も曲が始まって、やばい!、と思ってたら、予想通り。ピアノ伴奏の場合の選曲には、ご注意のほど。

 安本さんのソロは、私の心配をかき消した、素晴らしいテノールでした。ブラビッシモー!   
  (FAXで頂戴しました。12/28掲載。管理人)


思い出す事

二十年前、取手市民ホールで、歌い終えてから、取手駅前、奈良漬屋の向かいの「イザカヤ」に、なだれ込み、反省会と称して何回、たむろした事でしょう。私は東京なのに、良くお供したのを、思い出します。始めは人数も少く、十二、三人位で練習の合間、お薄お抹茶を点てて上げた事もありました。その内に団員が増え、多彩で個性強い紳士が入って、ますます活気づき、次第に難曲に取組み今日の成果をみるに至りました。
継続は力成り。素晴らしいハーモニー。
 指導よろしきもさる事ながら、団員のやる気には、ご家族ならずとも、外からの私もびっくりするばかりです。四年後、60名が、またまた増えるやも知れません。
 期待しています。弟八回定期演奏会、見事、おめでとうございました。お疲れさまでした。

   <第八回 定期演奏会に絆(ほだ)されて>

 受付で 終りは九時です 念押され
 始まって 曲を聞くより 友さがし
 魅力的 唐音 低音 しびれちゃう
 みんなソロ やりたい顔して ハモってる
 ブラボーと 感極まって 大拍手
 ブラボーは 皆にも喝采 モチ夫(おっと)にも
 実力よ 音響抜群なんて 云わせない
 特訓の 成果 拍手が 鳴り止まず
 レベル高し ドイツ語なまりの ラテン語と
 田村さんを気遣う仲間 舞台ににじむ
 二十年 声出し続けて 皆若い
 二十年 客席見廻わす 余裕(ゆとり)出来
 二十年 ささえた妻よ ありがとう
 二十年 寝ても覚めても 歌の事
 二十年 黒髪 気づけば 白まじり
 ホントカイ! 無形文化財 冗談かい?
 常磐線 沿線住いで 常男会
   <演奏終えて>
 マアマアと 云いつつ三曲 アンコール
 団長も カーテンコールに 上げて欲し
 和気あいあい 跳ねたロビーは ラッシュ並
 帰路遠く 名残り惜しけど 足早に消ゆ
 六十名 取手の男声 希少価値

 それスタートだ 四年後目ざして 体調管理

                八十路過ぎ鳴かず飛ばずの 阪東 T子 拝
                                   (2007.12.10受付・掲載)




「U Boj」が歌いたい

 「U Boi」 いわずと知れた男声合唱曲の定番である。 クロアチア語ではあるが勇壮な曲想はどうにもこうにも酒に合う。 学生のころは夢を語り合い酒を酌み交わしながら、友とよく歌った。
はたして何年この歌を歌っていないのだろうか。

 ようやく第八回定演「取手公演」が終わった。諸先輩方のドイツ語5曲暗譜へのご苦労振り、正直頭が下がった。 きっとしばらくは意味不明の言語の曲はご免こうむりたい所だろう。 「UBoi」を皆で歌いましょうなんて言ったらきっと・・・。

 次回定演のひとステージは世界の歌なんて話が出ています。 「UBoi」が入る様画策しようと思います。 万が一実現してしまったら・・・皆さん、その時はお付き合いよろしくお願いします。

U boj, u boj!
Mac iz toka, bane,
nek dusman zna kako mremo mi!
♪♪♪〜♪

バリトン 伊藤(2007.11.19受付)


合唱連盟20周年記念の催し

xx様
 20年目を迎える合連の記念イベントの内容について、アンケート調査がなされていますね。 いろいろご検討の由、実行委員様、ご苦労様です。どんなステージになるのか、ちょっと予想が付きませんが。
 日ごろ個別に活動している各団体が協力して大きなイベントをする、貴重な機会ですね。
現時点では何も決まっていないとのことですが、やはり合同ステージは欠かせないのでしょう。 でも昨年(15周年)の合連合同演奏について私は「練習期間が長すぎる」「全員参加のステージが多すぎる」と感じました。例えば単純な話、「土の歌」チームと「オペラ」チームを分ければ、大人数で舞台をはみ出ることもなく、練習ももっと能率良く進んだのではないでしょうか。

 団員の緊張持続も課題ですね。前回、1年半も続いた合同練習が良かった、とは思えないのです。 合同曲は合同練習時だけでなくそれぞれの団でも予習練習をするでしょうから、出来れば4〜6ヶ月ていどの合同練習で本番まで行きたいものです。期間が長くてもすぐに後戻りがあって「もう忘れた、アハハ」「もとのもくあみ、マ、イッカ」となる例がことのほか多かったように思います。先生も一進一退の繰り返しで、大変じゃなかったでしょうか。ですから、実質的にはずっと短い期間での練習と同じだったとも言えましょう。 私は「だらだら長期」よりは「短期決戦、集中練習、緊張の維持出来るうちに本番」を希望します。その場合、「音楽的には未完成」かも知れませんし、先生としても不本意な出来かも知れません。でも、いたずらに時間をかけても「完成」することはなく、改善出来る部分は僅かでしょう。 「何となく長時間練習して良い演奏、100点」を漠然と唱えるよりは、度胸と緊張でカバーして「忘れぬうちに、元気はつらつ本番、80点」のほうがずっと楽しくて、結果的には良いステージが期待出来ると思いませんか?
 もっとも、短期、の時はとりわけレッスン欠席が影響しますから、出席率を出演条件に加えても良いですね。(2007.11.北の旅人)


入団6ヶ月・感動のステージに立つ
                          取手男声合唱団 バス 小玉幸彦

 2007年の4月に取手男声合唱団に入団、あっという間に半年が過ぎ、9月20日を迎えて本番のステージに立ってしまった。合宿に参加して、あらためて男声合唱団の結束を認識した。他のパートを聞きながら自分のパートを歌う楽しさを感じながら練習を重ねてきた。
 午後1時半に会場の浜離宮朝日ホール楽屋に入った。60名近くの男達が発する熱気が伝わってくる。リハーサル後、音楽ホールのステージに立つと臨場感で、身の引きしまる思いが湧いてきた。 このホールは音響工学の粋を結集して、ウイーン楽友協会ブラームスザールを手本に1992年に完成、今年で創立15周年を迎えたとのことである。
 残響が1.7秒で、大山先生のピアノ伴奏がホールに美しく響いていた。我々の演奏もうまくいきそうだなと予感させる練習であった。
 夕食を健康ドリンクとカロリーメイトで軽く済ませて、グリーンジャケットに初めて袖を通した。午後6時40分ステージ下手に集合した。開演5分前のアナウンスが流れる。ステマネ阿久根さんの合図が出た。午後7時、パス3列目先頭で入場する。背筋を伸ばしたつもりだったが足が少し早くなってしまった。4列目先頭の角田さんが「もっとゆっくり」と小声でアドバイスしてくれた。正面を向くと500人近くの聴衆が来場している。感謝の気持ちが湧き上がってくる。新倉さんの指揮に集中する、深呼吸を数回して息をためる。第一声「やながわの…」うまく歌えた。角田さん・丹波さん・国分さん・小池さん・小林さん・鈴木さんの声がよく聞こえる。富士山の「だいしゅうう」まで一気に歌った。壁際なので音響の良さを体感でき、更に意欲が増す。「唱歌の四季」黒木先生の長身が舞台に映える。大山先生のピアノも美しい。シニアならではの詩情にあふれたハーモニーが聴く人に伝わっている様を実感した。
 いよいよメンデルスゾーン合唱曲集になった。黒木先生の指揮に集中した。s・c・h・tを無声音だけど、しっかりと発音するように心がけ a・e・i・o・uを縦型の口で歌い続けた。何とか先輩団員についていけたという出来だった。
 休憩に入り、大至急黒シャツに着替える。黒づくめの忍者スタイルは、精悍でなかなかダンディだと思えた。
 次は高尾さんの指揮で20年間のアラカルトである。「風が…」は導入曲としてはすばらしい選曲であった。4曲目の「孔雀」は音域が広い曲で難しかった。LowDの音を響かせるのに苦労した。「道」は黒木先生のソロを聞き聴衆へのお返しが出来たと思うほどのすばらしい出来だった。バックコーラスの私達もうれしくなった。
 終曲の「人間っていいな」は客席に作曲者の西村達郎氏をお迎えして演奏、感激をあらたにした。団歌にふさわしい名曲になると思う。アンコールになって「巡礼の合唱」で締めくくった。
 取手男声合唱団創立20周年記念・第8回定期演奏会のステージに立てて感激です。4月からご指導いただいた黒木先生・高尾さん・新倉さん・ピアニストの大山先生ありがとうございました。パスの小野さん・伊藤さん・矢満田さんを初め励ましていただいた先輩の皆様にも感謝申し上げまず。これからも楽しく練習できるように健康第一に心がけ体力と歌唱力を伸ばして行きたいと思います。      (取手合唱連盟機関紙「ハーモニー」より、小玉さんの了解を得て転載)






第8回定演に出演出来て

  H14年7月  5年前、周りに一人も知り合いの居ない取手に引っ越してきた。

  H14年11月 何処で知ったか、第6回定演を上野の石橋メモリアルホールに
         聞きに行く、感想としては私はやはり聞く側で歌うのはとても
         無理、そう思いながら一人で上野駅まで歩き、取手に帰る。

  H16年6月 取手で第九をやるというので結団式に参加、翌年のH17年2月に
         取手で無事?に歌え、その余勢を駆って国技館にも行く。

  H16年12月 取手で第7回定演を聞く、もしかしてと思ったが、20数曲も
        暗譜で歌うのは私にはとても出来ないと思う。未練は多少残るが。

  H17年3月 TMCに突如入団してしまった。先生も変わられるし、次の
        定演まで2年半もあるからとか云われて。

  H19年9月 そして2年半経過、第8回定演を迎える事となった。
        5年目にしてやっとまがりなりにも何とか、合唱の楽しさも
        多少感じながら歌うことが出来た。私にとっては記念すべき
        大感激、感無量(少しオーバー?)の日でした。 

    ここで改めて黒木先生、大山先生をはじめTMCの方々のご指導に
   感謝すると共に、又多くの方々とお知り合いになれたことは私の大きな
   財産だと思っています。今後とも宜しくお願いいたします。

    さて初心を忘れずにこれからどうするかです!

          (H19年9月28日 B1 酒井達夫)


今回のコンサートの感想

 コンサートが終了し、知人から・また打上等でも色々なご意見(良い意見・悪い意見多々入り混じって)が溢れかえっていることと思います。
今、我々が言えることは「やるだけのことはやった」だと思っています。出来なかったこと、こうしておけば・・・などは皆自分で判っていると思います。それはこれからの課題、わが団の成長への目標となるでしょう。
 自分としても皆様に出会えて本当に幸せだと感じています。平均年齢が上がればあがるほど良い演奏が出来るようになったといわれる合唱団を目指したいと思います。最年少として皆様のお尻を叩かさせていただく事になると思いますが、新たな目標に向かってがんばりたいと思います。
(TMCバス 伊藤 2007.9.25)


朧月夜


  大ポカをしてしまった。事もあろうに定演の本番で。 皆さんには本当に申し訳ないと思う。「唱歌の四季」の第1曲、「朧月夜」で1拍早く飛び出してしまったのだ。気が付いた瞬間、あとのまつり、だった。
目立つことおびただしい。選りによってあの場面で、、、あってはならないミスだ。

 一夜明けて、なぜ、だったか思いめぐらした。そして、どうやら編曲の違いが関係しているらしい、と気付いた。
 考えてみれば、初めて三善晃の手になる譜面を見たとき、オヤッと感じたのだった。「朧月夜」は”菜の花畠に・・・・”が第3拍から始まる、いわゆる弱起の曲なのだが、三善版では第1拍から始まっている。そして「かすみふかし(手元の楽譜では19小節目)」に1/4拍子の1小節を入れて1拍の違いを吸収し、以下原曲と同じ進行になる。 今回は三善版だから第1拍で入るのが正しい。
  しかし、私は最近「ふるさとの四季」を歌っていた。 源田俊一郎編曲のこの曲では、原曲通り第3拍で始まる。 たぶん、定演当日、無意識に混同したのだろう、「自信をもって」第3拍で始めてしまった、のだと考えられる。
  実は第1拍で入る三善版のほうが冒頭部の歌詞のイントネーションには良く合うのだが、「ブン、チャッ、チャ」と聞こえるようで私は好きではなかった。 三善先生は7小節ぶんだけ主張なさった上で、その後の部分は原曲を尊重されたのだろう。
  この失敗は、私に沢山の事を教えた。今後に生かして行きたい。そして、記憶する限りこれ以外のミスなく歌うことが出来たと思えるのは多少の救いである。

  余談ながら、打上会の席でOさんは「ボクも飛び出したんだ」とサポートしてくれた。 お心遣いありがとう。 でも、そのときは夢中だったから、Oさんも飛び出したのかどうか、全く覚えていません。 たぶん、飛び出したのはボクひとりだった、と思うのです。
(北の旅人 2007/9/23)


       
いよいよ本番!

 9月20日はTMCの定演本番である。
今年は特に一所懸命に練習した。 合宿も、やむない事情で欠席した2名を除き全員出席、遅刻早退ナシ、と言う、気合いのはいったものであった。
「練習は裏切らない」という言葉を信じて臨みたい。

 一つ私に印象的なのは、全員が暗譜を当然のこととして、譜面を持とう、持たせてくれ、と言い出す人が皆無だったことだ。これは自慢しても良いことだと思う。
毎回定演では、暗譜か否かで一悶着、とまでは行かないが、譜面希望者が相当居るのである。そして、あるステージだけは譜面携行、となることも多々あったのである。 もっとも、練習ではなかなか譜面と離れにくいのも確かで、いまでも見ながら歌っている人も結構居るが、「譜面持たなきゃオレ出ない」などというセリフは姿を消した。 はじめのうちは、「新人は譜面見ていいよ」だったような気がするが、結果として全員暗譜が実現しそうである。

客席に来て下さる皆さん、ボクたちは、譜面で途中遮られることなく歌をお届けしたいと思います。 9月20日、東京浜離宮朝日ホールでお会いしましょう。 (北の旅人)


          

2007鳴門第九に参加して

 去る6月3日、今年26回目となる「鳴門第九演奏会」に参加しました。
 徳島県鳴門市といえば、昨年6月に封切られた「バルトの楽園(がくえん)」でご存知の方も多いと思いますが、第一次大戦に敗れたドイツ軍人によつて我が国で初めて(1918年6月)べ一トーベン第九が演奏された処です。 また、私がこの捕虜収容施設から数百メートルの地で生まれ、18歳まで過ごした懐かしの土地でもあります。 第九を歌うようになって郷里鳴門でも第九演奏会があることを知り、いずれ参加してみたいと思っていましたが、今回ようやく実現しました。
 今年1月、安本さんを通じ取手第九合唱団として申し込んだところ、ソリストの一人に我が取手男声合唱団で目頃ご指導を頂いている黒木先生(バス)が出演されることを知りました。 何という奇遇、何が何でも立派に仕上げるぞと決心し、早速2月、国技館の「すみだ5000人の第九」に参加する傍ら、目頃のウオーキング曲にも取り込み準備してきました。当目は兄弟家族や友人を含む約1200人の聴衆を前に、全国から580人の大合唱団が編成されていて、私は前から5段目という特別席があてがわれていました。
 第四楽章に入り、黒木先生の「オー・フロインデ(おお友よ)」の力強い歌声を皮切りに、580人の仲間と共に始めての地元演奏を力一杯歌い上げました。歌い終わって会場入り口に駆けつけ、兄弟家族と記念写真に収まり、大きな感動を味わった自らの表情を記念に留めた次第です。郷里での第九は格別なものです。 兄弟家族との親交も兼ね、また、折を見て参加しようと思っています。   (TMCテノール2 永野匡見 2007.6.)



大発見!「おのぼりさんは指を差す」


  「おのぼりさん」は少し言い過ぎかも知れないが。
5月5日のことだ。 神尾先生指揮する「丸の内合唱団」の演奏に参加すべく東京駅に降り立った小生は、時間調整で汗を拭いていた。 11時から最終練習、1時本番はオアゾと丸ビル1Fの予定、まだ少々時間があった。 丸の内中央口から吐き出される人々を見るともなく見ていると、出てきた人の多くは出口から数歩歩いたところで前方を指さすのである。申し合わせたように目線とウデを上げる角度は水平より20度上方、時間は1−2秒。2人連れ以上だとほぼ例外なく同じ所作をして、ひとこと言葉を交わす。そして殆どは立ち止まることなくそのまま歩いて行く。
前方左に「丸ビル」、右手に「新丸ビル」がそびえる。
 男女・男男・女女・年齢・服装での差は見られなかった。さすがに連れの居ない一人での指差しはなかったが、2人揃って指差し動作をするときもあれば指さした一人が得意げに説明する体の事もあった。みんな表情は幸せそうであった。 あんまり面白いので写真に収めた。次々と現れる人と指差し。後でタイムスタンプを調べたら多いときには1分間に6組、そんな場面が写っていた。
 合唱やってると妙なところで発見がある、トイウオハナシデシタ。 オソマツ。
  (2007.5.13 北の旅人)
        (「仲間の活躍」ページに合唱ステージ紹介写真を掲載しています  管理人)

丸の内と「ふるさとの四季」

 東京丸ノ内のビル群の中で「ふるさとの四季」(混声・源田俊一郎編曲)歌う会(丸ノ内合唱団)に北の旅人さんの誘いで参加しています。(本番は5/4)

 何度かの練習に参加し、見ず知らずの方と歌う難しさを感じています。よく、同じメンバーで同じ歌を歌い続ければ、その歌は進化し素晴らしいものになると言われます。TMCでは何気なく歌ってもお互いの声が違和感なく混ざり合い、併せるという意識を最近あまり持っていませんでしたが、今回はどのように併せてゆけばよいか試行錯誤の連続です。(プロ歌手はこのようなことは難なくこなすのでしょうね)

 もうひとつ感じたことは、「練習は裏切らない」ということです。合同練習が少ないので、一通り歌えるように練習(譜読み)して最初のアンサンブルの日をむかえました。結果として、音のイメージ作りが難しく最も練習した「紅葉」のできが一番良く。簡単だと流したものは違和感だらけでした。

本番はどのような方がお客様になるかわかりませんが、ふるさとのやさしい風が丸ノ内のビル群に吹きこむように心を込めて歌いたいと思います。

追記
 バスに非常にがたいの大きな方がいて気分によってすさまじく大きな声を出しています。もう少し曲想を感じながらセーブすればとても良い声なのになー!と思いながら、普段自分もこんな風に思われているかもと反省する瞬間でありました。(みなさんご免なさい!!)  (バス 伊藤)(2007.4.27受付)



「すみだ第九」に参加して

リタイアを機会に、昨年6月福島県いわき市から越してきました。7月にインターネットHP「取手男声合唱団のホームページへようこそ」のおかげで、長年の夢だった男声合唱団(TMC)の一員となることができ、その縁で誘われて8月には第九親睦会にも入会しました。9月頃「すみだ第九」が紹介され心が大いに動いたのですが、「待て待て、まずはTMCに専心!来年・来年!」と自重してきました。しかし「チャンスを生かせ。来年は歌えないかもしれないぞ!」という自分の声も聞こえてくるのです。TMCのYさんの強引かつ親切なお誘いもあり、TMC仲間と一緒に年末の「つくば第九」に参加、そして今回の「すみだ第九」となりました。
 風邪を引いてしまい取手練習は一回しか参加できず、東武博物館の練習にも出かけました。下村先生の「第九合唱の心と情熱」のご指導に深い感銘を受けましたが、自分では不満の残る練習でした。「爆発する歓喜の心」を「フロイデ」の歌声にどう重ねたらよいのか、自分が力不足なのです。でも、国技館で歌い終わったときの自分は本当に幸せで、心地よい爽快な風が胸の中を吹抜けていきました。5000人の第九がどんなものなのか、想像もできませんでしたが、今は「来年も歌えたらいいな」と思っています。
お世話になった皆様に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
    (バス 國分可和   2007.3.27受付)



DVD

 昨年秋の市音楽祭のライブDVDを見てびっくりした。 プロの会社が制作したもので、断じてアマチュアの作品ではないのだ。なのに、、、この画像のプアなのはなんたることか。フォーカスの甘い画面は歌っている人の顔もさだかでない。家庭用のヴィデオカメラでもこの程度は撮れる。いや、もっと良い画像が楽しめる機材も多いのだ。 カメラの水平もとれてなくて画面が傾いている。こんなもので¥2500円は高すぎる。 音質も、オーディオ技術の進んだ昨今、とても満足出来るものではなかった。 それでいて「無断コピーは賠償請求することがある・・・」などと書いてある。誰がこんなものをコピーするか。コピーしたくなるようなしろものではないのだ。 制作会社は何らかの責任を感じるべきだろう。
 別の例: 記載がないので制作会社名は判らないが、2000年の「取手第九特別演奏会」のCDは、事もあろうに左右逆相(極性が逆)の録音であった。このために、音像は定位せず打ち消されて音の落っこちたCDで何とも珍妙な音がしたものである。 こんな初歩的な大ミスにも気が付かない、または気が付いても解決出来ないでCD制作している、と言う例もあるのだ。 
 それに、いつも思うのだが、完成が遅すぎる。合唱コンサートは毎年のことだから、出演の面々は、終わればすぐに次回の練習に入っている。4ヶ月もたってからDVDやCDを入手出来ても、当時の感激はとっくにさめてしまっているから、無価値とまでは極論しないが有り難み激減である。 アマチュアのコンサートなんぞはいわば生鮮品、賞味期限は短いのだ。 業者は、そしてこんな業者に発注する合唱連盟などは出演者への配慮に十分と言えぬといわれても致し方あるまい。
(北の旅人。2007/2/20)


JORDAN会合同コンサートが済みました。
      寄せられたメールより掲載させて頂きます。(順不同。管理人)


録音、早速聴かせていただきました。
過去の演奏に比べると格段に良い演奏だったと思います。
自分たちの声がよく聞こえたのでハモリ易かったみたいです。
会場に助けられたのは間違いないでしょうね。
でも、それ以上に練習の成果が出たのではないでしょうか。
我々の努力の証であり、黒木先生のご指導の賜だと思います。
細かいところでは音が下がっていたり縦が揃っていない箇所が随所にあったので、まだまだ改善の余地があります。
それから、「月光とピエロ」がとても良い演奏でした。
唄っている時にはこんなスローなテンポで大丈夫だろうかと疑心暗鬼でしたが、聴いてみると全然ダレてなくて、かえってテンポの揺さぶりが不思議な印象を与えています。
まさに、我孫子のカラヤン恐るべし。
 (TMC−T1 Si.様)


昨日は ホントにお疲れ様でした!  観客動員も、さすがですねぇ。。。  お天気にも恵まれて、最高の一日だった事と お祝い申し上げま〜す★   (中略)   なんだか取手が 「グっ」と近づいたようで、嬉しい思いで一杯です!   また是非、ご一緒する機会を楽しみにしています。   つくばで「美味い時間」をお考えの折は、是非 ご一報くださいネ。  (取手でもオッケーですよん!)    では、また近いうちに〜〜〜♪ 
 (つくば市 Na.C 様)

黒木先生もデビューして、ハミングの
おねえ様達の黄色い声援もあり、はりきって演奏出来たのではないでしょうか?またお会いできる日を楽しみにしています。
 (Hime 様)


先日はお疲れ様でした。想像超えたスケールのコンサートには、私たちも大変なエネルギーをいただきました。
これからも多くの方々に元気を見せ付けて下さい!今後のご活躍を期待しております。演奏会終了後も、大変な人の中で、素敵な絵を描かれる奥様にはお会い出来ませんでしたが、くれぐれもよろしくお伝えください。ありがとうございました。
(習志野市 斉藤.Y 様)


音源アップありがとうございました
今回の演奏はTMCにとって大きなステップになりましたね。ただ、良い演奏が出来たという反面、出演をあきらめてしまった方が出てしまったのも事実です。これからの大きな課題ですね。

それから、HP3,000ヒットおめでとうございます。管理人さんにとってはまだまだと言う思いでしょうが、ベースのKさんという宝を得られた成果があります。多少なりとも影響を受けている方がいらっしゃると言うことは大きな足跡です。
これからもよろしくお願いします。
(TMCバス It様)

      ***** 以上、JORDAN会関連のメールより *****





    以下、バックナンバー 0 に2007.1.1掲載分までを保管